из подполья

どこかで書ききれなかったことや、個人でやってる集まりの報告など。

20220426_あるきはじめる大学(#ある大)_代表挨拶

私、鷺志緒が代表を務めている「アドソキア」で、時計台大ホールを借りたイベント「あるきはじめる大学」Opening Ceremonyを実施しました。以下に提示するのは、その際に私が発言した内容です。一部、当日の科白通りではない箇所もありますが、概ねの内容を反映しています。…………

 

本日はお集まりいただきありがとうございます。この「あるきはじめる大学」の運営母体「アドソキア」の代表として挨拶をしろ、と言われました。ちょっと何を話したものか考えていたのですが、思いつかなかったので、このプロジェクトを巡って私がモチベーションとしているものを話そうと思います。

「大学に出会う、街に出会う」という副題をつけました。これは、二つのことを言っているようにも見えます。つまり、一方では街が大学に、他方では大学が街に、という二つの現象を表しているかに見えます。しかし、私の意図においては、結局同じことを言っています。それというのは、どちらにおいても、大学を社会化し、大学が街であり、街が大学であるような、私たちが全く想像もしたことのないような仕方で大学ないしそこでなされる知的活動を提唱しようとしているからです。ここで大学は、街の集会場、マイケル・ハートの言うところの「コモン」に高まります。
現代は疫病も戦争も克服された、という希望的観測がいくつかの著述家によってなされたつかのま、2020年代は疫病と戦争とともに始まった。疫病は医療行政として、戦争は軍隊として、それぞれ国家と関わるエレメントであり、その動きに(たとい間接的にせよ)私たちの生活はつねに影響を受け続けます。(日本に限って言えば)「国立大学」もまた、国家との従属関係の中で成立し、そして現在もその中で生き続けています。その極致に「大学ファンド」があります。しかし、ボローニャやパリで、あるいはベルリンで始まった「大学」がそうであったように、国家とは従属で結ばれるものではありません。国立大学の多くは(始原的に)国家から莫大な資本を獲得して建設され、今なお国家資本との結びつきとは切っても切り離せないかに見えます。その中で私たちは、ある意味で国家資本に利するべく必要以上に労力を割き、研究を制限しています。学振や科研費の書類などは数ある例のうちの一つに過ぎません。ところで、大学はたんに国家から無条件の価値を供与され、なおかつ自らの活動について自由である「特権」的な場所にほかならない。私たちが混乱するのは、大学がこの特権と同時に従属を擁しているからです。しかし、大学がより豊かな知的活動の場所となるためには、従属の解消だけでは済まされない。
私たちには国家とは別の結びつきの中で「大学」を把握する余地がある。私たちは、大学で仕事し学んでいるはずが、いまだ大学の社会的存在を捉え損なうことをやめない。それと同時に、私たちはあらゆる教養=形成 Bildung を大学でやればよろしいと思い込んでいます。大学で学べば多少賢くなるだろう、成長を得られるだろうと。実を言うと、私たちが大学を通して生活していくうちに明らかになってきたように、多くの学びは大学で獲得されるものではない。むしろ大学から周縁化され、社会をうごめいている潜在的な語りの各々に特異的な強度があり、私たちはそこから多くを学んでいるのだ。知について起源Ursprungではなく発明Erfindungという言葉を使った点でニーチェは全くもって正しい。大学に知があるかに見えるのは、あくまでも大学に知があるという幻想がゆえに大学と大学人に知が集積されただけのことだった。私は真理を語っているかに見えるのは、私がこの教壇に立ち、語っているからです。もちろんこの倒錯を克服するには、一筋縄でいかないでしょう。大学をめぐるこの成長神話を私たちは錯覚として解きほぐし、潜在的であり続けた知を私たちは育んでいかねばなりません。
したがって、私たちは次のことを目指さねばならない。「アドソキア=あつまろう」という号令を掲げ、社会的な流通の間隙や境界線に止まらざるを得ない、まだ見ぬ他者たちとの出会いを交わすことを。その実践が大学で実行されることを、私たちはいかなる躊躇いもなく受け入れる用意があります。「哲学との交流は人生の日曜日と見なされうる」と言ったヘーゲルをはじめ、近代のプロイセンドイツで大学が成立する頃、多くの著述家が「人生の日曜日」というアイデアを考えていました。それは私たちの労働や生活で看過している規定を捉える現場への要請に他なりません。今日、私たちが社会的意識として捉えている「大学」の規定性を乗り越え、社会的存在として私たちの「大学」との関わりを把握し、そして「大学」を根本において——諸個人にそくして——捉え返すこと。
ここで私たちが「街と大学」というテーマを打ち立てるのは、必ずしもとっさの思いつきでできているものではありません。文字通りに私たちはuniversitas、すなわち「一に舞い戻ること」を目指そうとする上で、私たちは否定的契機としての「街/大学」という区別を極限まで追いかけなければならない。その末に、私はここで次のように宣言することができるでしょう。「大学」は歩き始める。いつ始まるかわからないこの出来事を、私は一つの祈りとして提示するのです。私が一つだけ言えるとしたら、ただ、この「アドソキア」だけなのです。私は個別にあなたに呼びかけている。いや、私自身なのかもしれない。しかし、ここで私は集まることを強制するのではない。ただ単に、社会的意識の間隙や境界線のただなかで彷徨えるひとが、自分の「主体」を概念把握し、同時に集まれる場所を大学に創出することを待望するとに過ぎない。主体、それは見いだされようとしてついに発見されないものです。それこそ間隙にしか見出され得ず、しかし発見されようとするとすぐに見過ごされてしまう残像です。人生のうち生産過程に属する労働の時間にも、「主体的」という言葉が使われますが、それは残像に過ぎないのです。レンズの内側にあるものを、私たちは日曜日に探すことができるだろう。それはひどく退屈でつまらないものかもしれない。あれか、これかという二者択一ではなく、リゾームとしか言いようのない何かであり、それゆえに捉えがたい。しかし、うまくやっていくことなら多分できる。そのための空間を、集まるための空間を、まだ見ぬ地平を、大学に待望する。しかしその空間、地平は、現在の大学が現象しているような仕方でのツリーではなく、むしろリゾーム的なものだろう。複数的な磁場のなかで。
アドソキア、アドソキア、私はそう呟きながら、この挨拶を閉じよう。